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被爆クスノキNO.1

・朝日新聞 2010/10/25

堀口力氏は縄文杉と呼ばれることになる巨木との出合いから庭師となり、その時に各地の老木や巨木の世話をして歩き、日本初の「樹医」を名乗っていた山野忠彦と出会い、や堀口氏の熱意を見て取ると生涯の仕事を与えた。「被爆した木を、あんた見守ってやったらどうだ」広島には爆心地から2キロ以内で被爆した木が、公共の場所だけで約170本ある。クスノキやアオギリ、シダレヤナギなどである。いずれも古木で、傷口が朽ちたり根もとの土が踏み固められたりして、樹勢が衰えているが、業者は被爆樹に触らない。金にならないし、口うるさい人もいるし、もし枯れたら責任問題になるからである。新しい木を植えた方が商売になるのである。「75年は草木も生えない」と言われた土地で生きのび、緑を茂らせて市民に希望を与えてきた木々が、衰えて放置されている。研究者もいない。原爆の体験者も減っていき、言の証人を残すのを仕事にしよう。そう決めた。被爆樹を守る運動に興味を持っていた長崎市の中学教諭、梅崎氏は堀口に手紙を書いた。「育ててごらん。指導してあげる」と返事が来た。近所の山王神社で被爆クスノキのタネを222粒拾い、自宅で鉢にまいてみた。翌春、50本も芽が出た。修学旅行生に持たせた。活動はメディアにも紹介され、あちこちに苗木を送った。その1本が広島市の小学校にある。梅崎が1年育てて堀口に送り、堀口がさらに3年育ててから創立20周年の小学校の校庭に植えたのである。梅崎は今年春、堀口とともに小学校を訪ねた。樹齢 14年。4メートル近くに育った被爆クスノキの2世に、梅崎はおずおずと抱きついてこずえを見上げた。「大きくなったね」卒業生に会うようであった。

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